凜として学ぶ

大手進学塾の現役講師が語る勉強法・教育・受験情勢

自己紹介②

①の記事で述べましたように、受験産業に長く身を置いている私ですが、自分自身はどのような勉強機会を積んできたのか。これもまた、これから記事を書くにあたって、最初に簡単にまとめておきたいと思います。

 

西日本の田舎、いたって平凡な家庭に生まれた私は、長男として比較的自由に育てられました。

高卒の両親は教育ママパパとは到底離れた人で、もちろんお受験などとは無縁。私にさせた習い事もそろばんと習字くらい。勉強は「とにかく学校の宿題をきちんとやりましょう」といった程度でした。

ただ、昔から本を読むことと自然に触れるのがとにかく好きで、理科的な教養や漢字の読み書きには長けていて、そういったものが問われるテスト等で好成績を収めたときは、母親や先生に褒められて嬉しかったものでした。

しかし、躓くところにはちゃんともれなく躓き、分数の計算が不得手で同級生に指摘を受けたり、割合の概念も大して身に着けないまま中学校に上がっていた自覚がありました。

中学校に上がると、テストが本格化し、自分で思っていたほどの点数を取れなくなっていました。中学校に入って最初の定期テストの成績個人票のコメント欄に母から「英語と数学をもう少し頑張ってほしい」と書かれたことを今でも覚えています。そのときの数学の点数は、単なる正負の計算だけなのに60点、英語もアルファベットと至極単純な文、基本的な英単語だけだったのに79点だったこともよく覚えています。

 

そのテストが終わったときの二者面談で担任の先生に「みんなみたいに塾に行って勉強したい」と言いました。地方ではありましたが、地域の教育熱は意外と高く、周りの同級生たちは小学校の高学年くらいから塾におさまりはじめていました。幼げながら自分の中では「あいつには勝てるだろ」と心の中では見下していた子たちにも自分はそのうち負けてしまうのでないか。自分も塾に通いたい。。。

そうは思っていてもなんとなく親には言えない自分がいたからです。決して貧しい家ではなかったと体感していましたが、倹約的な家であることは確かで、しかも当時の自分は親に対して結構な引っ込み思案で自分で言うのもなんですが思慮深い遠慮がちな子どもでありました。だから、親に言えなかったその気持ちがあって、それをポロッと年老いた理科の先生につぶやいたのです。それが中1の6月。まだ12歳。

 

一気に時を経て先に結末をいうと、そのあと私は結局、塾や家庭教師の力を借りずに県内の上位高校に進学、その後も独学で勉強を続け京都大学に現役合格。それに加え、これまた別途スクールや留学などを経由せずにTOEICで900点オーバーの英語力やその他いくつかの資格を身につけて、自身のその成功体験を資本とする塾業界に身を投じるに至りました。

 

途中、重要なところを一気に飛ばしました。自慢臭く、また胡散臭くもある一風変わった経歴ですが、その中でしか得られなかった無形の財産がたくさんあるのです。塾講師として生きた現場でもそれを切り売りしていましたが、このブログでも様々言語化していけたらなと思っています。

(③に続きます)